フル・ハウス+5(紙ジャケット仕様)


去年の2月ダブリンに1週間くらい滞在した。その時にずっと聴いていたのがこのLP。2月のダブリンはいまの東京よりずっと寒かったけど、いまより薄着だったような・・・。
このアルバム、何度も書くけど男だけになったバンドの緊張感がたまらない。多くの曲をデイヴ・スワーブリックとリチャード・トンプソンが共作しているが、フォークの大御所マーティン・カーシーの共演者でもあったスワーブリックとトンプソンはやがて離反してしまう。フェアポートにいたころのスワーブリックはエレクトリックで音色も非常に好きだし、その声もとても好きなのだが、やはりフォーク/トラッドへの求心性がその方向性の違いだったようだ。実際にこのアルバムはいままでよりもたしかにトラッド色は強い、にもかかわらず、そこにあらわれているのはまぎれもなく同時代性をもった「ロック」であるところに注目したい。アシュレー・ハッチングスがやめた後、ベーシストのオーディションをする際に、求心的にフォークを追求するようなプレイヤーはいれない、ということを念頭に置いていた、ということからもわかるように、彼らはむしろ遠心的にフォークから離脱する方向を探っていたようだ。
リチャード・トンプソンを好きなのは、この異化作用のようなものをいつももっているところ。古楽の研究家としても知られるフィル・ピケット(アルビオン・ダンス・バンド)とのデュオでもそれは同じで、ただの古楽の再演には終わっていない。モリス・ダンスを再演した名企画盤「モリス・オン」でもそれは同じこと。現在のリチャード・トンプソンがあまり評価を得られないとすれば、その「器用さ」のようなものが裏目に出た多作さのせいかもしれない。ある人によれば「つまらない凡作を連発するミュージシャン」ということになるが・・・。
いろいろ再発見がブームの昨今では、こうした器用に生き延びてきたミュージシャンに対する風当たりは厳しい。むしろ寡作で今も昔と変わらない独自の世界観を持ち続けているようなミュージシャンに「ふたたび」スポットを当てるような作業が目立つ。もちろん、それもとても重要なことだ。
そういえば去年はずっとトラッドとかフォークとか聴き続けて、その流れでそうした現在の再評価とかの動きを知ったのだった。

   さあ、大地の恵みに感謝しよう
   いま、あなたがたの創造主に感謝を
   赤いバラはそれを知るすべての人のために咲くでしょう


"Now Be Thankful"