去年の仕事の中でも印象深いもののひとつ。何が印象深いって・・・、インタヴューなのにテレコがなかった・・・、ということにつきます。というわけでメモ片手に一生懸命インタヴューしました。
インタヴューには僕の希望で一応トム・ワトソンも同席していた。

メイヨ・トンプソン(レッド・クレイオラ)インタヴュー


 メイヨ・トンプソン率いるレッド・クレイオラが3度目の来日公演を果たした。前回の来日では9人の大所帯で、まさしくフリー・フォーム・フリーク・アウトなステージを見せてくれたが、今回は歌とギターにメイヨ、ギターにトム・ワトソン、ドラムスにジョージ・ハーリーの3人という極めてシンプルな編成。「今回3人で来日したのは、今がただそうなだけ」で、大きな意味はないとのことだが、それは本人もいうようにコンパクトな小隊によって「嵐を巻き起こす」非常にパワフルなものだった。
 最近のリリースは、97年に制作された、ブルース&ノーマン・ヨネモトによる短編映画『ジャパン・イン・パリ・イン・LA』のサウンドトラックである。この映画は、1920年代にゴッホに憧れてパリに渡り、30歳で客死した画家佐伯祐三のエピソードにもとづく。パリでブラマンクにそのアカデミックな作風を喝破された佐伯は、失意の底に沈むがやがて独自の絵画をつくりだす。そこには「日本人が自国の文化を離れてヨーロッパのモダニズムの絵画を描くことができるのか?」という問題が含まれており、東京で美術を学んだヨネモト兄弟の体験が反映されている。この作品にはデイヴィッド・グラッブスやジム・オルークが参加し、ヴォーカリストとしてのメイヨの出番はないが、非常に映像的な作品である。「それぞれの曲はひとつひとつ場面にあわせて、試行錯誤しながら制作された。たとえば、中にはバーナード・ハーマンを参考にした、ヒッチコックなどの映画音楽のクリシェも使われている。ただ、それはリスペクトであって、けっして諷刺の意味でではない。」
 もう一枚のリリースは、70年録音の未発表作など貴重な音源を含む『シングルス』。英国ラフ・トレードのジェフ・トラヴィスとともに、プロデューサーとしてレインコーツなど多くのグループの作品を制作していた頃のシングルが含まれている。それらの仕事はパンク以降の音楽(ポスト・パンク)というものへ、ある指針を与えたといってもいいだろう。しかし、メイヨは「「ポスト・パンク」?なんだいそれは」という感じだったが。
 また、70年代中頃に始まる、コンセプチュアル・アーティスト、アート&ランゲージとの協同作業は「まだ継続中」で、「いつでも活動を再開する可能性がある」という。「私の回りには共産党に関係した友人もいたが、私自身は共産党に入党したことも、共産主義にコミットしたこともない。私はむしろ状況に対して自由に考える立場をとっている。」
 当時の彼らの作品には、当時の社会を反映した政治的な含意を汲み取れるものがある。ただし、それを「シリアスにならずにポップに」表現するのだという。
「アートはアート、革命は革命。音楽やアートで革命が起こせるとは思っていない。」

intoxicate 2005 6月号 vol.56 掲載