音の「無名状況」
 
 
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 以前筆者は、「弱音系」「微音系」「無音系」などと称されることになる動向が、代々木のギャラリー/フリー・スペース、オフサイトから、その立地条件による音量制限という外的条件によって半ば必然的に導かれたものである、という主旨の文章を書いたことがある。もちろん、そうした外的条件が重要な要因であったことは確かだと思うが、しかし、あくまでもそれはひとつの機縁としてとらえられるべきだとも考えている。オフサイトという、ある意味特殊な場所が、ある動向の形成に寄与することによって、こうした日本の状況に先立つ、あるいは同時多発的に起こった、同様の指向性を持つ表現者の発見や出会いが準備されたということと、そうした動向が胚胎されたことが「半ば必然的」であったことが、当事者たちに、それがなんであったのかを事後的に考察する機会を与えたということではないか。この誌面において実作者からのけして短くはない論考が、こうして活発に発表され続けているということがそれを証明しているだろう。
 この小論では、冒頭にあげたような、近年のサウンド・アートおよび実験的音響/音楽作品の分野において特徴的な一動向である、微弱音による作品や音の発される部分よりも多くの無音部分を含むような作品、あるいは極小の作為によって制作されているなどの一連の作品の中にみとめられる傾向をとりあげる。そして、「つくることの否定」を通じた「もの」の作品化を標榜した戦後日本美術における重要な動向のひとつである「もの派」の代表的作家菅木志雄の言説や、それに類すると思われる美術家およびその作品について筆者が書いた過去のテキストを参照し、それら音響/音楽作品へ適用し考察する。そうすることで、それらの(必ずしもそれだけとは限らないが)聴覚的作品に、もうひとつの解釈の方法を与えようとするものである。
 ただし、これは状況論的な考察ではなく、あくまで試論にとどまる。それは、筆者がそのような詳細な状況分析による考察を行なうには、この現在進行形の音楽動向を把握するのに必要な作品や演奏に立ち会うという経験が足りないからであり、そうした動向は、録音によって作品化されるものにもまして、日々各所で行なわれている演奏会などの試みにおいて、その実験性および試行錯誤は顕著に表われるものだからだ。
 
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 はじめに、2000年に筆者が企画した展覧会『サウンド・アート―音というメディア』(NTTインターコミュニケーション・センター)のカタログに執筆したテキストを再考察する。それは、ある空間における出来事のあるがままの状態において、それを認識する/させるための枠=フレームを設定することを作品とするようなあり方について考察したものであり、上記展覧会の出品作家であった、m/s (佐藤実)、角田俊也、志水児王の3人が属する制作活動組織WrKの作品が持つ傾向について解題を試みたものである。絶版になって久しい本でもあるので、拙文の該当部分を引用する。
 「空間のある状況、状態を音によって記述、あるいは認識することは可能か。美術的な文脈における、枠(フレーム)という概念について考えてみると、たとえばインスタレーション作品は、従来の絵画や彫刻がもっていた、フレームや焦点という制約から逸脱することから出発しているが、ある種の空間的作品においては、別な意味でのフレームや焦点を措定することで作品が成立する。言い換えると、作品自体が空間に対するなにがしかのフレームの役割を担っている。それは、たとえばギャラリーなどの閉空間における物理的な制約や、野外においては、その開空間ゆえの非焦点性の内側に仮構されるものである。また、空間におけるその変化をも視野に入れれば、時間軸をも含めて、作品を概念的に可視化、知覚するための指標、あるいはシステムのようなものになり、さらには、日常的体験として特に把握することのない、時空間のある状況、状態を認識させ、より開かれた世界を知覚させるためのものになる。」
 WrKは、94年に組織としての活動を開始、「時空間上で展開される現象や出来事という刻一刻と変化する事象と、それに対する私達自身の態度や認識の変遷」(WrKのステートメントより)という概念的な事象をそれぞれの方法によって考察し、作品化するという制作活動を行ない、06年に活動を停止した。集団としての活動から徐々に個々の活動へとその力点を移行していったという印象があるが、ステートメントに謳われているように、空間における微細な状態の変化や、さらには知覚域を超えたレベルでの状態の変動に着目し、それに概念的な考察と視点を与えることで、「時空間」での出来事を記述する、という制作態度を共有した活動を展開した。
 上記の展覧会では、3人がICCの館内各所をその考察対象として作品を制作し、ICCという場所の記述を試みた。それぞれの作品は、「m/sはICC館内の任意の場所における照明状態を、太陽電池を用いて、その照度による直接のエネルギーによって可聴化、あるいはそのスピーカーの振動によって視覚化する。角田俊也は、物質の固体振動による音の伝播に着目し、ICC各所の壁面に圧電センサーを多数設置して、各部位における振動の差異から、ICC館内はもとより、ICCの位置する東京オペラシティタワーの構造を聴取、認識しようとする。志水児王はTVモニターや、コンピュータ、時計などの電化製品を、その使用法としての一般的な通念から解き放ち、音を採集する装置に転換させ、設置場所や機器の電気的な回路の構造の違いによる、採集される音の差異によって、それらの状態、特性を知覚する」というものであった。
 彼らは、フレームに相当するシステムをつくることで空間とその出来事に関与し、それによって生じる音(ではない場合もある)によって「空間のある状況、状態」の記述を試みる。鑑賞者は、たとえば音やその変化によってある状況や状態を認識することになる。しかし、記述そのものにとどまらず、さらにはそのフレーム=コンセプトを認識することによって、作品はまた異なる姿でたち現われることになる。
 「3人が行なうICCという場に固有の状態を記述する作業の結果は、じつにひそやかなものであるかもしれない。われわれが日常それらを特に感得し得ないのと同じようなひそやかさで、やはりそこに提示されている。しかし、彼らが設置した装置と、そのコンセプトに焦点を合わせれば、その日常の雑音にかき消されてしまいそうな音から、はっきりとこの場、時間/空間の状態や構造を知覚することができるだろう。彼らは精巧なフレーム=コンセプトを作ることによって、ひそやかで、見えない、しかし確実に存在している出来事を克明に描き出そうとしているのだ。」
 ここでいう「フレームを作る」という行為は、ある状態に概念的な焦点と枠を与えるということであり、いわゆる造形的なフレームのことではない。それは、作為的になにかをつくるのではなく、ある空間におけるあるがままの状況に働きかけることによって、その固有の状態を顕在化させ、その「時間/空間の状態や構造を知覚する」というかかわり方の問題ととらえることができる。それは、戦後の日本美術における特徴的な運動である「もの派」の代表的作家であり、その理論的側面を李禹煥とともに牽引した菅木志雄の制作思想と符合する部分があるように思われる。
(以上引用「サウンド・アート―音というメディア」カタログ、NTT出版、2000年)
 
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 「もの派」とは、美術評論家峯村敏明の定義によれば「1970年前後の日本で、芸術表現の舞台に未加工の自然的な物質、物体を、素材としてではなく主役として登場させ、モノの在りようやモノの働きから直かに何らかの芸術表現を引きだそうと試みた」運動である。
 「もの派」は、その理論的牽引者であった李禹煥が、その著書『出会いを求めて』(田畑書店、1971年/美術出版社、2000年)において表明した、「全ては太初から実現されており、世界はそのまま開かれているのに、どこへまた何の世界を作り出すことができようか」という言葉に表わされる、あるがままの世界の肯定からつくることの否定を導いた。
 「つくることの否定」において制作行為は、あるがままの世界とその状態などを、より鮮やかに見せるための行為となる。そこで、李が「世界との出会い」に意味を見いだしたことに対して菅は、「ものがただものとしてただそこに在ること」に積極的な意味を見いだす。それは、「つくる」のではなく、あるがままの状況にかかわることによって、ものやある状態を作品たらしめる行為である、と考えることである。「もの」の「ある」状態を認識することを通じて、「ものがただある、という状態」を「人の創造作用をまったく無視したところでどうしようもなくある」ものとして認識すること。これを「極限として」の「在る状態」とし、人的行為を媒介にして認識する。それによって、この「在る状態」の本質的な「無名性」を認識することであるとする。(★)
 ここには「聴くこと」に対するスタンスと同じ相違をみることができるのではないか。ケージの《4分33秒》が単にどうしようもなく耳を使ってしまうことによって、通常認識されない音に「出会う」ことで、あらゆるものを音楽に転化するものだとするのに対して、あるがままの状況を、人的行為を媒介にした仕掛けによって認識させるということは、ある状況に対してフレームを仮構することに等しい行為となる。
 たとえば菅の作品《無限状況》(1970)は、上下に開閉するふたつ窓がそれぞれ異なる位置で開かれている、という状況に対して、その異なる開口部分に斜めに角材を置いたものである。そこに角材が置かれなければ、それはそれで異なった位置に開かれたふたつの窓は、誰がこのような位置で開け放ったのだろうか、という疑問もわいてくる不可思議なものととらえることもできるだろう。しかし、ここに異なった角度で挟み込まれた角材が、そのふたつの窓の異なる状態を顕在化させている。
 ある「もの」や「状態」は、日常の場において、「どうしようもなくある」状態で「放置」されており、それにかかわることを「つくること」ではなく「放置」された状況にかかわるという態度によって作品化している。そこでは、ものそのものを提示するのではなく、ものとものとの関係、そしてものが置かれている空間や状況とものとの関係によって作品が成立する。
(本段落★は、千葉成夫「現代美術逸脱史」晶文社、1986年を参照した)
 
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 ポル・マロの写真作品とインスタレーションについて同様の考えを書いている。それは淡路島の海岸に捨てられ、放置されたゴミがただ写っているだけの写真である。
 「しかし、「見出されたインスタレーション(Found Installation)」というそのタイトルの通り、この日常の端にあるような風景の一部である無作為に投げ出されたに違いないゴミは、ポルの視線によって切り出されてインスタレーションのようにどこか意図的に作られたもののような佇まいを見せている。つまり、積極的に「見出す」ことによってゴミが「放置」されている状態は「配置」された状態へと転換される。こんな風にわたしたちの日常空間には、なにげなく目を向けた先にアートを凌駕するようなとんでもないリアリティがころがっているのかもしれない。視線を向け視界を、空間を切り取る。それだけで世界の断片は新たな容貌をもって立ち現われる。」
 また、「無造作なアッセンブラージュのように見えるポルの作品空間は、いい意味で考え抜かれたものかあるいはそうではないのか、判断がつきにくい。つまり、日常の風景のようにできるだけ無作為に「放置」された状態に近づいていること。その中で鑑賞者はポルの作品をそれぞれ見出す。」
 誰からも見られることを目的としていない、こうした状況が、まさしく「無名」であり「放置」の状態であろう。それに対して、フレームをかざすことによってその状態をより明らかにする。
(以上引用「FADER 10号」、2004年、HEADZ)
 
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 角田俊也のレーベル、skitiより発表されたマンフレッド・ヴェルダー作曲《20061》を秋山徹次、大蔵雅彦、角田俊也の3人が演奏したCDは上述したような考えを考察するのに最適な1枚となるだろう。このCDからは、収録時間の約29分の間、録音がなされた2006年の5月の多摩川の河川敷で聴こえた音が主に聴こえてくる。それは鳥のさえずりであり、風の音、川のせせらぎ、子供の声、電車の通過音などである。それらはまさしく演奏が行なわれた場所に、「どうしようもなく」存在していた音であり、あくまでも「無名」の音である。そこに演奏者が自身の楽器によってまるでその環境をなぞるように音を「放置」していく。「あなたの作品とケージの《4分33秒》との相違点を教えてください」という、このCDに付された作曲家への質問への回答は示唆に富んでいる。曰く、《4分33秒》の文脈を変更し、「鳴っている世界」とわたしたちとの「新しい関係」を打ち立てること。この作品は、すでに鳴っている世界に対して、それとともに演奏者たちや発される音も「無名」の状況のままにあるように働きかけることによって、音から世界への拡大を成し遂げようとしているように聴こえる。

 演奏のスコアには「場所、自然光、演奏者の居るところ、演奏者たちが好むまま居る 時間 (音)」とある。
 

フリーペーパー「三太」 音と言葉をめぐる批評 vol.6 2007年